HOOLIGANS
骨身に沁みるような雨が降っていた。
先進十カ国で定期的に行われる、酸性雨中和のための人工降雨作業週間の最終日である。
無害だが特徴のある臭いの雨を一週間じとじとと降らせ、大気中の窒素酸化物やらなにやら、という厄介者を「洗い落とす」という、画期的なもので、人工降雨後二ヶ月間は、まっさらの大気が保証される。というふれこみである。
しかし因果なもので、この臭い雨が降りこむ一週間というものは、人の心が侵食されるらしく、犯罪者と自殺者がやたらと増える。
けれども地球の、特に先進国にとっての地球環境は、人命や倫理などよりはるかに重要と見え、この雨はこれからも６０日ごとに降るのである。
仙台都市警察本部別館内、給湯室。
立派な警察機構であるところの仙台都市警察が、「杜の都の警察やくざ」と称されるに至った、その大元の二人。梅津 大と国見沢 慎吾が、静かに粗茶をすすっていた。
グレーの事務机が一つと、軋むパイプ椅子が四つ、一口のガス台と、ひゅるひゅるとねじれた水が出る蛇口と、やたらと水のはねるステンレスのシンクしかない給湯室が、彼らの「情報収集」の拠点であり、おそらく最強の情報屋、兼、調達屋、「大壺」という男の、唯一知られたセーフハウスである。
例の、臭い雨の最終日が、大壺との「ツナギ」の日と決まっていて、梅津たちがここを訪れると、どこからともなく大壺は現れて、その巨躯に似合わぬ繊細な手付きで土瓶を使い、粗茶を淹れるのである。
そして、都市警情報部が、逆立ちしても知り得ない情報をぽつぽつと語るのだ。
その確度は驚くべきもので、他の追随を許さぬ圧倒的な情報収集能力は、「仙台のひとりモサド」の名に恥じない。そして彼は、決して報酬を受け取らない。
彼の素性は、梅津たちも知らない。優れた情報屋である、という事実がすべてである。
梅津も国見沢も、今でこそ「警察」と名のつく組織に組してはいるものの、もとは二人とも「傭兵」であり、「工作員」であり、国によっては「犯罪者」である。大壺も、同じ世界に生きる男であった。
「さてと、今回はどんなあんばいかね大壺くん」
国見沢が呑気に尋ねた。サングラスの奥の眼が、少し細くなる。
「確度Ａに近いのが二件スかね…。一件目はあさっての朝刊にデカデカと載る予定なんスけど、内容はフェイクですね。問題はもう一件の方ス」
大壺の語り口はあくまで静かである。幾度となく死線を越えているはずなのだが、決してそれを表に出さず、穏やかな笑みを絶やす事が無い。
「いいかげん頭が腐って来たとこだからよぉ、なんかこう、歯ごたえのあるヤマだと有り難ぇんだけどな」
梅津は典型的な武闘派なので、常にこういう事を考えているようだ。いかにして外道を八つ裂きにするか、が大命題であるらしい。
「近々、限定核を使ったテロがあります。場所は合衆国本土のどこか、首謀者は、ダグ・ボーナムとその一派。ＤＩＡが躍起になって走り回ってますが、阻止は不可能っスねコレ」
「恐ろしい事をさらっと言うね相変わらず」
そういう国見沢の口調も、実に呑気であった。
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…と、国見沢が、指でバッテンを作って目配せした。
大壺が、足元に置いてある黒いバッグから、銀色の魔法瓶を取り出し、フタを開いた。湯気が一瞬立ち上り、すぐ流れ落ちる。
大壺は、魔法瓶の中身を湯飲み茶碗に注いだ。しゅうしゅうと音をさせながら、白い湯気が机の上を這うように広がっていく。
液体窒素である。
国見沢は、ニタっと笑って揉み手をし、白く氷結し、ピキピキと音をさせる湯飲み茶碗に、ぐるりとバンダナを巻いて注意深く持ち上げた。
「良い子はマネしちゃだめだよぉ」
「大壺といいお前といい、なしくずしの安全基準無視だよな」
「市街地で５５口径振り回して、村田銃並みの近接射撃する人に、そういうコト言われたくないね」
湯気を引きつつ国見沢は、テーブルの下に潜り込むと、裏面の中央やや左に貼り付いている、黒い角砂糖大の物に、沸騰する液体窒素入りの茶碗を下からかぶせた。
盛大な冷気が吹き出し、液体窒素の飛沫が散る。
「うっひゃ〜！あちちちちち！あっちぃーっ！んだか冷てぇんだかどっちだかわかんねえっ！」
テーブルの下から、国見沢の悲鳴が聞こえる。
「盗聴器に液体窒素なんぞ使うからだ、爆弾処理じゃあんめえし」
この場合、梅津の指摘が正しい。
「ナイトロ使うと、壊さずに回収できるんスよ、受信側にもノイズが行かないし、電池の再利用もしやすいっスね。以外に高いんスよ電池」
湯飲みの液体窒素を魔法瓶に戻しつつ、所帯じみた事を言う大壺である。
「ハイ一丁あがり、さーてこいつをどうするか、というと…」
国見沢の目が意地悪く光った。
「持ち主の寝室にでも仕掛けてやろうかね、ダイちゃん」
「今の警察庁長官のウチってどこよ？」
「表向きには旧駒場の官僚宿舎っス。ホントは松涛の、ハイペリオンってマンションの、３４階のワンフロアぶち抜きにして、愛人と優雅に暮らしとります。この愛人というのがまたエラい人物で…。名前聞いたら皆さん、のけぞる事請け合いっスね」
「守備範囲広いなー大壺君」
「メシのタネは蒔いとくと増えるんスよね」
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